のむとたべると

物欲よりも食(酒込み)欲。禁酒もダイエットも出来ないダメなヤツです。

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☆*:;;;;;:*☆ BOO子です ☆*:;;;;;:*☆







久しぶりにPCを開きました。



そしたら、皆さんが覗きに来てくださってるのを見て



なんで休んでるのか書かなきゃーって思いました・・・。



申し訳ないです。




こんなに休んでいるにもかかわらず、


足を運んでくださってありがとうございます(涙)




休みます以外に書く余裕がなかったものですいませんでした。









先月、1月23日に、主の父が亡くなりました。


長い闘病生活を頑張り抜いたお義父さんは静かに息を引き取ったそうです。
(私は間に合わなくて。)


すい臓癌だったお義父さんは余命1年と告げられてから


2年半もの間、病魔と向き合い戦い続けました。




去年12月に入ってからは週一回の通院もしんどそうでしたので


運転できて車もあり、時間もたんまりの私が送迎することになりました。


つかの間でしたが、お義父さんとの通院は楽しかったしデートのようでした。


年末最後12月28日の通院は主にお願いして、私は帰省しました。


でも、お義父さんは31日に容態が悪くなり、そのまま入院となりました。




お義父さんが入院してからの1月中はほぼ毎日お義母さんと病院に通っていました。


夕御飯を食べるのを手伝いながら励ましたりしていました。


だんだんと痩せて行くお義父さんを見るのはとても辛かったのには


もう一つ理由が私にはありました。





去年11月末に、私の父が食道癌であることが分かりました。


知ったときはショックでした。


幾度となく不安になり、夜に一人で泣いたりしました。
 

私は父と離れていることもあり、その分お義父さんに尽くしました。


日々のお見舞いで、痩せたお義父さんの背中をさすると


お義父さんは’楽になる’といいました。


毎回さするようにしていましたが、私の父もこんな風に痩せていくのか、と


とてつもなく不安になり悲しくなったものでした。







1月24日のお義父さんのお通夜の日、私の母と姉が来てくれました。


通夜に参加するため、夕方に大阪へ着いた母と姉。


お通夜の時、姉が少し席を外したのですがさほど気にすることもなく


お義父さんのことを考えたりしていました。


そしてお通夜が終わったと同時に、姉が駆け寄ってきました。


目に涙をいっぱいためていました。


”お父さんが危ないかもしれん”


え?ですよ。





それから母と姉は最終の新幹線にギリギリ間に合い熊本へとんぼ返り。


私は途方にくれて、控え室でわんわん泣いていました。


なんで?急に? お父さんが?





母と姉は夜中に病院に着いたようで、父の容態を見守っていました。


翌日はお義父さんのお葬式でしたが私は散々悩んで


始発で熊本に帰りたいと主に告げました。


始発まで通夜の会場ですごして、お義父さんに手を合わせてさよならを言いました。






帰る準備をしている時に私は主に言いました。




”ねぇ、喪服持って帰りたくない・・・。

何の準備?お父さん大丈夫よね?喪服いらんよね?”







”置いていけ。なんかあったら送ったる”




と、私は父の容態を不安に思いながらも喪服を置いていくことにしました。








うちの父は食道に癌が絡みついていたことで、


食道を食べ物が通ると、大動脈を傷つける恐れがありました。


そこで、早急に食道バイパス手術をすることになりました。


そのバイパス手術のために入院した父は、血管が破れたらしく


病院の廊下で突然倒れ、吐血したので 緊急手術をしました。


そしてその時はなんとか一命を取り留めました。


(12月10日ごろ、ブログを少しお休みした時です。 )



それを知った私はすぐに帰省しました。


そして病院に着き、ICUにいる父を見て私は涙が止まりませんでした。


お酒やタバコが大好きで、わがままな父が小さく見えたのが信じられなかった。
 

すっごくドキドキしていたのを忘れません。




でも、父は少しづつ回復していきました。


ICUを出る頃には自分で、’死に損なったぞ’などとゆうようになりました。


この時の手術で、父はカテーテルを入れました。


カテーテルを入れた場合、放射線治療や抗がん剤治療が受けられないと言われました。


治療は漢方などにしか頼れないと。余命は半年だと。




12月20日、無事に食道バイパス手術が終わりました。



私は一時大阪へ戻りました。(主、放置の為)



お義父さんのことも気にしつつ、またすぐ27日に帰省しました。



年末年始の帰省中は毎日父のお見舞いへ行きました。


父はすっかり元気になりましたが食欲がなく痩せていく一方でした。


それでも父は毎日私たちが来るのを楽しみにしていました。


微熱が続き、なかなか退院ができなかったのですがずっとも居られないので


1月8日に父に会いに行き、私は大阪へ戻りました。


この日、私が父と会った最後の日となりました。




”お父さんまたねーバイバーイ”






1月25日(お義父さん葬儀の日)


新大阪、AM6時発の新幹線に乗り熊本へ向かいました。
 

とてつもなく不安でしたが余計なことは考えてもダメだと思いながら


思いとはうらはらに時間がゆっくりと過ぎていきます。



少しウトウトしてすぐ、7時過ぎに姉から電話がありました。



ドキドキしました。








”今、お父さんが亡くなったよ”





姉が落ち着いた声でよかったと思いました。


私がその席を離れる間の涙をこらえることが出来たからです。


私は泣きました。 ずーっと泣きました。




そのあと主と電話で話してるのですが泣きじゃくって話になりません。


主は何度も何度も’落ち着け’と言って私が話すのを待っていました。


一人でいることがとっても寂しくて不安でした。





長い長い2時間でした。9時、熊本駅から病院へ。


父は私を待ってはくれなかったけど、母曰く


いちばんのお父さんっ子だった私がその姿を見るのは耐えられないだろうと


待ってくれなかったのだと。


そうかもしれませんでした。父が息を引き取る姿なんて恐くて耐えられない。






父を霊安室に運び、少し時間があったので主に電話しました。




”おとうさんに会えたか?”



”うん”



”俺らなんでこんなんやろな・・・くじけんとがんばろな”




声を震わせて主は泣いていました。なんだか悔しそうな・・・。



私も泣きました。



あーぁ、結局喪服を送ってもらうことになっちゃった...。








父がどんな最後だったのか聞くのも恐くて聞けませんでした。


でも、思いのほか癌が大きくなっていて痛がってたようでした。


母と姉が大阪へ行った間に、父は容態が急変し


にぃにと弟が駆けつけてくれました。


かなり痛がっていたので、モルヒネを投与してから呼吸が弱っていたようです。


父は、もう少し頑張りたかったみたい。





なぜ、急にこんなふうに父がなったのか。


答えはすべて、たぶんこうだろうなんです。


体力もなかった父の体を開くことはできなかったから。 開かないとわからない。


今となってはなんだかもうどうでもよくなりました。


父は戻ってきません。





”病院のご飯はまずいけん、いらん”


と言っていた父は結局ほとんど食べないまま痩せて言ったそうです。


後々、姉が言いました。


”今、思えばたぶん食欲が無かったんだと思う”


強がりな父らしいです。でも、食べて欲しかった。





主もとんぼ返りで父の葬儀に参列してくれました。


葬儀のあとは自宅に戻り、翌日まで全員爆睡。


お風呂も入らず、ごろ寝で・・・。






私の父は、お義父さんの訃報を聞き私の心配をしてくれたみたいです。



私の心配をするくらい、それくらい元気だったのにな。



全然大丈夫じゃないことになったね、お父さん。






お義父さんが病気になってから私は、お参りの機会ある事に


お義父さんのことばかりお願いしていました。


この正月は父のこともお願いしました。




でも、たった2日違いで主と私は同じおもいをしました。




とても辛かったけど、同じ辛さを味わい


余計な言葉もいらないので幾分ラクかもしれません。







度重なる不幸で、周りの友人たちにも心配をかけました。




心配してくれたみんなありがとう。




父を見送ってくれた人たちに感謝します。




幾度となく母に苦労をかけたり、悩ませたりと勝手な父でした。



でも、仕事は大好きで今思えば小さい頃


ドライブ行くぞ、と言って出かけていたのは父の仕事について行くことでした。


私は父とよく(なんちゃって)ドライブに行っていました。




熱が出て遠足に行けなくて小学校から帰されたと泣いて父にゆうと


父はそのまま、空港へドライブに連れて行ってくれました。


そして空港のレストランでご飯を食べました。




高校の時は、雨が降ると’迎えに行こうか’と連絡がありました。
(父は昼間はある程度自由に動いていましたので)


そして翌日はチャリを学校に置きっぱなしなのでまた、送ってもらいます。



毎日雨が降ればいいのに、なんて思っていました。






父の葬儀にはお花がたくさん届けられました。


葬儀場の方がこんなにお花が出ることはなかなかありませんよと。


人付き合いは良かったのでしょう。


お通夜には、仕事帰りであろう作業着のままのたくさんの方々が来てくれましたし。


私の友人もとても仲がよかったのでみんなとっても悲しんでいました。


私が思った以上の方々に見送っていただきました。感謝しかありません。





父が入院してから欠かさず見舞ってくれていた姉にいちばん感謝しています。


父の希望は姉がすべて叶えてくれていました。


姉も忙しいので疲れていたと思います。それでも私にこまめに連絡をくれました。


ありがとう、ごめんね、おつかれさま。と何度となく伝えました。




そして、父が亡くなってからも家族が、私が泣かないように明るく振舞ってくれました。


笑顔で頑張ってる姉がいたたまれなくも思いました。


そして、ふと姉が涙したときに また ありがとうねと言いました。


本当に姉がいてよかったです。





弟は(今となっては)父に呼ばれたのか


正月に帰れなかったからとたまたま帰省していました。


弟が帰省してからすぐに容態が悪くなりました。


でも、元気な父と話ができたようでよかったです。


まさに、虫の知らせだったと思います。






あとは私たちがしゃんとして生きていく姿を


天国へ行くであろう父に見てもらうことが父への孝行でしょうか。



ぐうたらは程々にいたします。。。笑



書いてる間、また泣いてしまいました。



思い出すだけで・・・とはこうゆうことでしょうね。



あと少しだけ休憩して、復活したいと思います。



おもろーな出来事がありましたらご報告いたします!



最後まで読んでいただきましてありがとうございました。







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【 2013/02/11 】 ☆おしらせ | TB(0) | CM(-)
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プロフィール

BOO子

Author:BOO子

 

家族構成

二人(夫婦)ときんちゃん(金魚)

登場人物

☆BOO子(ブログの主人)

専業主婦。

休刊日をなかなか作れない食いしん坊。

☆主(あるじ)=相方(旦那)

身長が私と同じ。

薄毛に悩む。

☆きんちゃん(ペット:金魚)

6才くらい。

やたら大きくなってきて、水槽90cm(3代目)。

長い尾ひれ込28㎝。巨大な金魚。'15.8月天国へ

主な紹介は初めましての方へご覧下さい

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